「閑適を詠う」 山居 閑人
かっての文人の中には、老境に差し掛って残りの人生が短いことを悟ったとき、煩わしい宮仕えを辞め、静に自由な生活を送りたいと思う人多くいます。また、若くして官職に就くことを厭い、隠棲生活に入りたいと思った人もいます。生活を保証するだけの財産、収入があるとき、隠棲生活を送ることは、理想的な生き方とされていました。また、役職に就かず、閑適を求める隠逸世活を送る人もいました。
これらの文人達の、隠逸生活、隠棲生活を謳歌する詩歌は多く残されています。これより、「閑適を詠う」と題しまして、これら多くの詩歌の中から、特に優れたものを吟詠により紹介したいと思います。
隠逸世生活を送った詩人の代表は陶潜です。陶潜は、家柄が貧しかったことにより、高い官職に就くことできず、若くして官職を投げ捨て、自ら農作業をしながら、多くの詩を残しました。「隠逸詩人」とよばれ、その生活態度、作られた詩が後世の詩人達に与えた影響は筆舌に尽くしがたいものがあります。特に「飲酒其の五」は千古の絶唱とされ、多くの詩に引用されています。
最初に、「飲酒其の五」を紹介いたします。
結廬在人境 盧を結んで人境にあり
而無車馬喧 而も車馬の喧しき無し
問君何能爾 君に問う何ぞ能く爾ると
心遠地自偏 心遠ければ地自ずから偏なり
采菊東籬下 菊を采る東籬の下
悠然見南山 悠然として南山を見る
山氣日夕佳 山気日夕に佳く
飛鳥相與還 飛鳥相与に還る
此中有眞意 此の中に真意あり
欲辨已忘言 弁ぜんと欲して已に言を忘る
「飲酒其の五」は、「此の中に真意あり 弁ぜんと欲して已に言を忘る」という言葉で結ばれております。李白の「山中問答」は、この詩と、陶潜の有名な「桃花源記」を融合して作られたものであり、ともに、「自分と同じ隠棲生活をしなければ自分の心は分からない」と述べています。「山中問答」を紹介いたします。
問余何意棲碧山 余に問う 何の意あって碧山に棲むと
笑而不答心自閑 笑うて答えず 心自から閑なり
桃花流水杳然去 桃花流水 杳然として去る
別有天地非人間 別に天地の人間に非ざる有り
日本にも、李白と同じように、山中に隠棲している人の心を詠った詩があります。国分青厓の「山中の歌」です。俗世間を全く離れた生活の楽しみを詠ったこの詩を紹介いたします。
問余山中棲幾年 余に問う山中に棲むこと幾年ぞと
世間甲子如雲煙 世間の甲子 雲煙の如し
採薬歸来日猶早 薬を採りて帰り来たるも日
猶早し
獨聴松風眠石上 独り松風を聴いて石上に眠る
盛唐の時代に官職に就かず、隠棲生活を送った詩人としては、孟浩然が有名です。孟浩然は、若い頃は盛んに就職活動を行っていましたが、結局、官職付くことができず、人生の後半を故郷で隠棲生活を送りました。その人柄と詩は、王維、李白、王昌齢などから尊敬を集めています。その代表作「春暁」には、夜明け前から役所に出勤しなければならない役人に対して、隠棲生活の気楽さを誇る意味が込められております。「春暁」を紹介いたします。
春眠不覺曉 春眠 暁を覚えず
處處聞啼鳥 処処 啼鳥を聞く
夜來風雨聲 夜来 風雨の声
花落知多少 花 落つること 知んぬ多少ぞ
王維は、役人生活の後半は、名目的な官職につき、広大な別荘地である「輞川荘」に居住して「半官半逸」の生活を送りました。そこで作られた詩の中で、親友の裴迪と共に同じ題で作った「輞川二十首」は有名です。その中の「竹里館」は、「鹿柴」に継いで有名で、隠逸生活の様子を巧みに表しています。「竹里館」を紹介いたします。
獨坐幽篁裏 独り坐す 幽篁の裏
彈琴復長嘯 琴を弾じて復長嘯す
深林人不知 深林 人知らず
明月來相照 明月来たりて相照らす
杜牧は、役人なって間もなく揚州に赴任し、そこで、毎日のように妓楼に出入りした生活を送りました。その後、地方周りをした後で中央に戻り、隠棲生活を送ったことはありませんでしたが、老境に入って、往時とその時の心境の差を「「禅院に題す」と言う詩に表しております。「鬢糸茶煙」の語源となった絶唱です。
觥船一棹百分空 觥船一棹すれば 百分空し
十歳青春不負公 十歳の青春 公に負かず
今日鬢絲禪榻畔 今日 鬢糸 禅榻の畔
茶烟輕颺落花風 茶煙軽く颺る 落花の風
隠逸生活へのあこがれは、日本にもありました。そのひとつの方法は出家して僧としての生活を送ることでした。その代表者として西行があります。西行は、佐藤義清という北面の武士でしたが、２３歳で妻子を捨てて出家し、僧として又風流人として過ごしました。和歌の達人として知られ、勅撰和歌集に採られているほか、『山家集』があります。世捨て人となっても、昔のことは忘れがたかったようです。このことを詠った和歌を紹介いたします。
山里にうき世いとはむ友もがな 悔しく過ぎし昔かたらむ
また、その隠逸生活は、中国の詩人達のようにからりとしたものでは無く、おりおりにつけ、寂しさ、悲しさを感じるものでありました。このことを詠った紹介いたします。
山里は秋のすゑにぞ思ひしる 悲しかりけり木がらしの風
日本では、西行の他にも、隠逸生活を送るには、僧になる例が多かったようです。典型的な隠逸生活者は良寛でした。山中では動物たちと戯れ、村に出てきては子供達と一緒に一日を過ごす気ままな生活を送っておりました。
その様子を詠った詩「無欲」を紹介いたします。
無欲一切足 欲
無ければ一切 足り
有求万事窮 求むる有らば万事窮す
淡菜可療饑 淡菜 饑を療やすべく
衲衣聊纏躬 衲衣 聊か躬に纏う
独往伴糜鹿 独 往きて麋鹿を伴とし
高歌和村童 高歌して村童に和す
洗耳巌下水 耳を洗ろう嵓下の水
可意嶺上松 意に可なり嶺上の松
良寛の悠々自適な生活を詠った詩をもう一首紹介いたします。夏の雨上がりの朝に散歩に出掛けるときの詩であり、格調の高い律詩です。この詩「早秋の作」を紹介致します。
荒村淋漓一夜雨 荒村淋漓たり 一夜の雨
今朝草堂繁暑収 今朝 草堂 繁暑収まる
窓中削玉遠山色 窓中 玉を削る遠山の色
戸外拖練長江流 戸外 練を拖く長江の流
巖下清泉洗病耳 巖下の清泉 病耳を洗い
樹梢寒蝉吟素秋 樹梢の寒蝉素秋を吟ず
預理杖錫試散歩 預杖錫を理め 試に散歩すれば
玆自風月正悠悠 玆自風月正に悠悠たらん
このような自由な生活を送る良寛も、ときどき寂しさを感じることがあったようで、「芭蕉夜雨の作」にその心情があらわされております。この詩を紹介致します。
昏夢易驚老朽質 昏夢 驚き易し 老朽の質
燈火明滅夜過央 灯火
明滅して 夜央を過ぐ
撫枕静聞芭蕉雨 枕を撫で静かに聞く 芭蕉の雨
与誰共語此時情 誰と共に語らん此の時の情
良寛には、同じ心情を詠った和歌があります。この和歌を紹介致します。
世の中に同じ心の人もがな 草のいほりに一夜かたらむ
白居易も、王維と同じように、晩年は洛陽の香山寺に住み「半官隠逸」の生活を送りました。４０歳代で江州司馬に左遷されたときに作られた「香炉峰下、新たに山居を卜し、草堂初めて成 偶東壁に題す」は、隠逸生活の詩とされ、清少納言の故事で有名ですが、実際には、閑職の身を歎いた詩であることが判明しております。この詩を紹介吟詠いたします。
日高睡足猶慵起 日高く睡り足りて猶
起くるに慵し
小閣重衾不怕寒 小閣に衾を重ねて寒を怕れず
遺愛寺鐘欹枕聴 遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き
香炉峰雪撥簾看 香炉峰の雪は簾を撥げて看る
匡盧便是逃名地 匡盧は便ち是れ 名を逃るるの地
司馬仍為送老官 司馬は仍
老いを送るの官たり
心泰身寧是帰處 心泰く身寧きは 是れ帰する処
故郷何独在長安 故郷
何ぞ独り 長安にのみ在らんや
白居易が、真に「半官隠逸」を詠った詩のひとつに「中隠」があります。都会は賑やかすぎるが、山丘は寂しすぎる。だから、半官半隠の生活をし、忙しい生活を送るのでもなく、暇すぎる生活を送るのが一番良いと詠っています。「中隠」の最初の部分を 紹介いたします。
大隠住朝市 大隠は朝市に住み
小隠入丘樊 小隠は丘樊に入る
丘樊太冷落 丘樊は太だ冷落
朝市太囂諠 朝市は太だ囂諠
不如作中隠 如かず中隠と作りて
隠在留司官 隠れて留司の官に在るに
似齣復似處 出ずるに似て復た処るに似る
非忙亦非閑 忙に非ずして復た閑に非ず
白居易の隠棲生活は、歳と共に深まっていきました。晩年、もうこれ以上の富は要らない、完全に隠棲生活に入ろうという意志を「自ら酒庫に題す」という詩に表しております。しかしながら、酒とは縁が切れなかったようです。
野鶴一辭籠 野鶴一たび籠を辞し
虛舟長任風 虚舟長に風に任す
送愁還鬧處 愁いを送りて閙処に還し
移老入閑中 老を移して閑中に入る
身更求何事 身更に何事をか求めん
天將富此翁 天将に此の翁を富ましむ
此翁何處富 此の翁何の処にか富む
酒庫不曾空 酒庫曾つて空しからず
白居易が隠逸生活に入ってから作られた詩に「酒に対す五首」があります。最も有名なのが「其の三」で、普通「酒に対す」と言えばこの詩を言います。短い人生だから、大いに酒を飲んで楽しもうということを荘子の事例を引きながら歌いあげています。
蝸牛角上爭何事 蝸牛角上 何事をか争う
石火光中寄此身 石火光中 此の身を寄す
隨富隨貧且歡樂 富に随い
貧に随い且く歓楽せん
不開口笑是癡人 口を開いて笑わざるは是れ痴人
役人生活を止めてから隠棲し、酒を愛した人に唐の詩人李適之がいます。杜甫の「飲中八仙歌」に「左相の日興万銭を費やす」として詠まれているほどの酒好きでした。隠棲した後「相を罷めて作る」という詩を作りました。今からは聖人の道を歩み、酒を楽しんで生きて行こうと詠っています（「飲むこと長鯨の百川を吸うが如し」の状態から、本当に止められたのかは疑問ですが）。この詩は「避賢樂聖」の語源となっています。
避賢初罷相 賢を避けて初めて相を罷め
樂聖且銜杯 聖を楽んで且らく杯を銜む
為問門前客 為に問う 門前の客
今朝幾箇來 今朝 幾箇 か来る
金の詩人元好問が、隠逸生活を詠った詩に「山居雑詩」があります。全対格の詩であり、山中の庵から見た風景を詠っています。
鷺影兼秋靜 鷺影 秋靜に兼わえ
蟬聲帶晩涼 蟬聲 晩涼を帶ぶ
陂長留積水 陂 長くして 積水を留め
川闊盡斜陽 川 闊くして 斜陽
尽く
出家しながら世をすてきれなかった西行に対して、綺麗さっぱりと俗世間を忘れ、山居生活を謳歌する僧侶もありました。潮音禅師がその人です。潮音禅師の和歌は、俗世間を超越した真理を表しています。
その和歌、二首を紹介いたします。
山深く隠れてからはしられけれ うきよのはしのわたりがたきを
老の身は山のおくこそ住よけれ こころまかせのふるまいをして
唐の詩人張籍は、「推敲」の故事で有名な賈島と共に、俗世間をさけた郊外に赴き「賈島と閑遊す」という詩に、その心境を表しています。
水北原南草色新 水北原南 草色新たなり
雪消風暖不生塵 雪消え風暖かにして塵を生ぜず
城中車馬應無數 城中の車馬
応に無数なるべきも
能解閑行有幾人 能く閑行を解するは幾人か有る
実際に隠逸生活に入らなくても、隠逸な生活に憧れ、ひとときの間、山に籠もって俗世間の煩わしさを忘れるのもひとつの楽しみです。藤原惺窩は、この楽しみを詠った「山居」という詩を作っております。管弦の音がなくても、山中には樵夫の歌が静に聞こえてきて、眠りをさそうようであるという、山中の趣を詠った詩です。「山居」を紹介いたします。
靑山高聳白雲邊 靑山 高く聳ゆ 白雲の辺
仄聽樵歌忘世縁 仄かに樵歌を聽いて 世縁を忘る
意足不求絲竹樂 意 足りて 求めず 糸竹の樂しみを
幽禽睡熟碧巖前 幽禽 睡りは熟す 碧巖の前
中国の司空曙もこのような文人の一人であり、隠逸生活への憧れを「江村即事」と言う詩に表しております。釣りを止めて返って来たが、舟を係留せずに、このまま眠ってしまおう。舟が何処に流されてようと、所詮、葦の花浅瀬だからと言う、気ままな生活を詠っています。この詩を紹介いたします。
釣罷歸來不繋船 釣りを罷め帰り来たりて船を繋がず
江村月落正堪眠 江村月落ちて正に眠るに堪えたり
縱然一夜風吹去 縦然 一夜風吹き去るとも
只在蘆花淺水邊 只だ蘆花浅水の辺に在らん
杜牧も、隠逸生活に憧れ、「将に呉興に赴かんとして「楽游原に登る」という詩を作っております。天下太平の時に味があるのは無能者であるが、自分もそうであり、白雲を眺めたり、僧と話したりするのが楽しいと詠っています。
清時有味是無能 清時に味有るは 是れ無能
閒愛孤雲静愛僧 閑かに孤雲を愛し静かに僧を愛す
欲把一麾江海去 一麾を把って 江海に去らんと欲し
樂遊原上望昭陵 楽游原上 昭陵を望む
唐の詩人韋莊は、「春日晏起」という詩の中で、朝寝坊をしながら、長安の南にあ里隠棲の地とされる終南山を眺めて、詩の推敲をし、そのときの外の景色を詠っています。隠逸生活の気楽さに、孟浩然の「春暁」の影響がみらます。この詩を紹介いたします。
爾來中酒起常遲 爾來酒に中りて 起くること常に遲く
臥看南山改舊詩 臥して 南山を看て 旧詩を改む
開戸日高春寂寂 戸を開けば
日 高くして 春 寂寂
數聲啼鳥上花枝 数声の啼鳥
花枝に上る
明の詩人光高啓も若くして隠棲生活に入りましたが、その生活振りを「雨中暁臥」という詩に詠いました。この詩にも、孟浩然の「春暁」の影響があります。
井桁烏啼破曙煙 井桁 烏啼いて曙烟を破る
輕寒薄被落花天 軽寒 薄被 落花の天
閒人晴日猶無事 閒人 晴日 猶 無事なり
風雨今朝正合眠 風雨
今朝正に眠る合し
唐の詩人李頎は、老後の隠棲生活を「野老曝背」という詩に詠いました。何もせずにのんびりとした生活を送ることの楽しさが詠われています。結句には、陶淵明の「飲酒其の五」の影響が見られます。
百歲老翁不種田 百歲の老翁 田を種えず
惟知曝背樂殘年 惟だ知る曝背し残年を楽しむを
有時捫虱獨搔首 時有りて虱を捫りて独り首を搔き
目送歸鴻籬下眠 帰鴻を目送して籬下に眠る
宋の政治家で詩人としても知られる王安石は、隠棲してる湖陰という人の家を尋ね、その生活振りを「湖陰先生の壁に書す」という詩に詠いました．風光明媚な地で、田畑を耕し手生活している隠者の生活振りが良く表されています。
茆簷長掃靜無苔 茆簷 長に掃って 靜にして苔無し
花木成畦手自栽 花木 畦を成して 手 自栽う
一水護田將緑繞 一水 田を護り 緑を 將って繞り
兩山排闥送青來 両山 闥を排し 青を送り来たる
宋の時代、林逋は西湖の孤山に隠棲し、梅を妻とし、鶴を子として生活しました。その心境を「孤山の隠居 壁に書す」という詩に表しております。人はおろか、猿や鳥もいない孤山に移り住もうとする理由を述べています。
山水未深猿鳥少 山水 未だ深からず猿鳥少なり
此生猶儗别移居 此の生 猶お别に居を移さんと擬す
直過天竺溪流上 直ちに天竺溪流の上を過ぎ
獨樹爲橋小結廬 独樹を橋と爲し小さく廬を結ぶ
林逋が、梅の花を詠った「山園小梅」は、絶唱とされ、高啓の「梅花」とともに、梅の花を詠った双璧とされています。特に、その頷聯の二句は、供に茶席の禅語とされ、「疎影」「暗香」は、梅の代名詞とされています。「山園小梅」を紹介致します。
衆芳搖落獨暄妍 衆芳 搖落して 独り暄妍
占盡風情向小園 風情を占め尽くして
小園に向かう
疎影橫斜水淸淺 疎影 横斜 水 清浅
暗香浮動月黄昏 暗香 浮動 月 黄昏
霜禽欲下先偸眼 霜禽下りんと欲して 先ず眼を偸み
粉蝶如知合斷魂 粉蝶 如し知らば 合に魂を断つべし
幸有微吟可相狎 幸いに微吟の 相狎るべき有り
不須檀板共金尊 須いず
檀板と金尊と
南宋の田園詩人と言われる范成大は、隠逸の、春夏秋冬の田園生活を詠った「四時田園雑興」と言われる六十首の詩を作っております。そのうち、「冬日其の一」紹介致します。農村ののんびりとした生活が詠われております。
斜日低山片月高 斜日 山に低れて 片月高し
睡餘行藥繞江郊 睡余の行楽 江郊を繞る
霜風掃盡千林葉 霜風 掃い尽くす千林の葉
閒倚笻枝數鸛巢 閑に笻枝に倚りて 鸛巢を数う
続きまして「冬日其の二」を紹介致します。「自分は、日に曝されてぬくぬくのんびりした生活を送っているのに、役人は､北風が吹く寒い中を、馬を走らせている。」と、隠逸生活の喜びを詠っています。
炙背檐前日似烘 背を檐前に炙れば 日 烘るに似たり
煖醺醺後困蒙蒙 煖まりて醺々として後 困じて蒙々
過門走馬何官職 門を過ぐる走馬 何の官職ぞ
側帽籠鞭戰北風 帽を側て鞭を籠め
北風に戰く
明の詩人文徴明は、その隠逸生活を「閑興」という詩に表しております。
同時に作られた律詩から、酒宴が終わり、客が帰った後の作であることが分かります。自分一人の世界が戻り、安堵感がうかがわれる詩です。
酒闌客散小堂空 酒闌つき 客散じて 小堂空しく
旋捲疎簾受晩風 旋に疎簾を捲きて 晩風を受く
坐久忽驚涼影動 坐すこと 久しくして 忽驚く
一痕新月在梧桐 涼影の動くを 一痕の新月 梧桐に在り
明の詩人呉偉業は、やはり山居における悠悠とした感情を「口占」という詩に詠っております。この詩を紹介します。
欲買渓山不用銭 渓山を買わんと欲して 銭を用いず
倦来高枕白雲邊 倦み来って 枕を高うす 白雲の辺
吾生此外無他願 吾が生は
此の外 他の願い無し
飲谷棲丘二十年 谷に飲み丘に棲む 二十年
山に住む趣を詠った和歌、三首を紹介致します。中国におけるゆったりとした感情に比較して、安逸な生活の中に寂しさを詠ったものが多いようです。
やまさとは松の声のみききなれてかぜふかぬ日はさぶしかりけり （大田垣蓮月尼）
山里は冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も
かれぬと思へば （源宗于）
さびしさに堪たへたる人のまたもあれな 庵ならべむ冬の山里 ｛西行法師｝
木下犀潭は、山居での生活を詠っております。昔、世間に住んでいた頃には、多少の功名を立てようとしたものだが、それは、今では、山家の雨の音のように去ってしまい、隠逸の生活を送ろうと詠っています。
林葉飄風瑟瑟鳴 林葉
風に翻って瑟瑟として鳴る
虡窗唯見一燈明 虚窓
唯見る
一灯の明らかなるを
人間多少功名夢 人間
多少
功名の夢
化作山房夜雨聲 化して 山房
夜雨の声と作る
三条西実隆は、致仕して仏門に入り、隠棲生活を送り、その心境を「致仕偶成」と言う詩に詠いました。ここでも、范蠡が越の国を去るときに小舟に乗って去った故事が引用されています。この詩を紹介致します。
三十年來朝市塵 三十年来 朝市の塵
片舟歸去五湖春 片舟 帰り去る 五湖の春
平生慚愧無功業 平生 慚愧す 功業無きを
合對白鷗終此身 合に白鷗に対して此の身を終えん
幕臣であった館柳湾は致仕した後に隠棲生活に入り、その悠々自適の生活を「秋尽く」と言う詩に詠いました。この詩を紹介致します。
靜裏空驚歳月流 静裏 空しく驚く 歳月の流るるに
閑亭独座思悠悠 閑亭に独座して思い悠悠たり
老愁如葉掃難盡 老愁 葉の如く 掃えども尽き難く
蔌蔌聲中又送秋 蔌蔌 声中
又秋を送る
市川寬斎も、老後の隠棲生活での冬の日の思いを「冬暖かし」という詩に表しております。ひたすら書を書き写す楽しみに浸った生活であったようです。この詩を紹介致します。
烘窻愛日気如蒸 窓を烘る愛日 気 蒸すが如し
不覚抄書至点燈 覚えず
抄書して 点灯に至るを
誰与衰翁同此喜 誰か衰翁と此の喜びを同じくせん
硯池淺處有冬蠅 硯池
浅き処
冬の蠅有り
明治の二大詩人と言えば、夏目漱石と乃木希典が挙げられます。夏目漱石も、俗世家を離れた閑適な生活に憧れておりました。老年になった、益々その思いは強くなり、その心境を「春日偶成」に表しております。「春日偶成」を紹介いたします。
莫道風塵老 道う莫かれ 風塵に老ゆと
當軒野趣新 軒に当たりて 野趣新たなり
竹深鶯亂囀 竹深くして
鶯 乱れ囀り
淸晝臥聽春 清昼
臥して春を聴く
乃木希典は、病弱なために度々休職し、那須野で晴耕雨読の生活を送りました。そのような有様を「那須野三首」に表しております。三首は同じ韻字を同じ位置で使う「次韻」という高度な技法で作られておりますが、いずれも質素な隠棲生活が表されております。そのうちのひとつを吟詠致します。
寒厨寧歎食無魚 寒厨 寧ぞ歎かん食に魚無きを
手植新蔬味有余 手植の新蔬 味余り有り
一縷香烟凝不動 一縷の香烟 凝りて動かず
疏簾隔雨読農書 疏簾
雨を隔てて農書を読む
「富士山」で知られる石川丈山も、浅野家に使えた後致仕し、京都郊外に隠棲しました。その生活を「閑適」という詩に残しております。この詩の吟詠を最後に、構成吟「閑適を詠う」を終わります。
静觀風物感年遷 風物を静觀して年の遷るに感じ
終日澹然憑榻眠 終日 澹然とし榻に憑りて眠むる
庭院無人春晝永 庭院 人無く春晝永く
遊禽來往落花邊 遊禽 來往す落花の邊
（令和２年９月２２日作成）
参考文献等
『白楽天１００選』石川忠久著、ＮＨＫライブラリー出版
『中国漢詩吟詠全集 絶句編』後藤石韜緒、有限会社吟濤社出版
『日本漢詩吟詠全集 絶句編』後藤石韜緒、有限会社吟濤社出版
『和漢名詩選評釈』簡野道明著、明治書院出版
ブログ「千人万首 資料編 和歌に影響を与えた漢詩文」
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kansi.html#kansi