「李白の生涯」 山居 閑人
李白は、杜甫と並んで詩界の双璧とされ、変幻自在な詩風から「詩仙」と呼ばれています。西域で裕福な商人の子として生まれ５歳の時に四川省に移住したとされています。一説には異民族の血が混じっていたと言われ「李白碧眼説」がありますが、真偽の程は分かっていません。
幼い頃からその秀才振りを認められ、読書に励むとともに、剣術を好み、任侠の徒と交際し、かつ、隠者と交際したり、道士としての修行をしたりしたと言われています。
早くも詩才を発揮し、この時代、１８歳の時に作られた詩として、「載天山の道士を訪ねて遇わず」があります。華麗な山に済む道士を尋ねていったが、外出中で会えなかった残念さを歌った物で、このようなテーマの詩は、賈島の「隠者を尋ねて遇わず」の他、多数造られるようになりました。
犬吠水聲中 犬は吠ゆ 水声の中
桃花帶雨濃 桃花は露を帯びて濃やかなり
樹深時見鹿 樹は深くして 時に鹿を見
溪午不聞鐘 渓は午にして 鐘を聞かず
野竹分青靄 野竹は青靄を分け
飛泉掛碧峰 飛泉は碧峰に挂かる
無人知所去 人の去く所を知る無し
愁倚兩三松 愁えて倚る 両三松
李白は、２５歳のとき、単身で蜀の地を離れ、諸国漫遊の旅に出ました。このとき、作られたのが「峨眉山月の歌」です。月を恋人又は親友に例え、蜀の地との別れを詠っていますが、前途への不安も感じられます。李白は、二度と故郷に帰ることはありませんでした。
峨眉山月半輪秋 峨眉山月 半輪の秋
影入平羌江水流 影は平羌江水に入って流る
夜發清溪向三峽 夜
清溪を発して三峽に向う
思君不見下渝州 君を思えども見えず 渝州に下る
長江の急流で知られる三峡を過ぎると、湖北省に入り、その入り口に荊門山があり、ここから楚の平野地帯に入ります。李白は、ここを通り過ぎるとき、「荊門を下りて送別す」という詩を作りました。狭い山峡を通り抜け、広々とした台地にやってきた開放感と前途への期待があふれています。この場合、「送別」とは、李白自身が故郷の友人に別れてきたことを示すものです。この詩を紹介いたします。
渡遠荊門外 渡ること遠し荊門の外
来従楚國遊 来りて従う楚国の遊
山随平野尽 山は平野に随って尽き
江入大荒流 江は大荒に入りて流る
月下飛天鏡 月
下りて天鏡飛び
雲生結海楼 雲生じて海楼を結ぶ
仍憐故郷水 仍お憐れむ故郷の水の
万里送行舟 万里 行舟を送るを
李白は、ここを通り過ぎるとき、「秋
荊門を下る」という詩を作りました。曾て張翰が江南の肴の膾を食べるために官職を捨てて故郷に帰った故事を引き合いに出し、自分は、風流心で山を愛するためにこの地にやってきたと、まだ見ぬ地への期待を表しています。
霜落荊門江樹空 霜は荊門に落ちて江樹空し
佈帆無恙掛鞦風 布帆恙無く秋風に掛く
此行不為鱸魚鲙 此の行 鱸魚の鱠の為ならず
自愛名山入剡中 自ら名山を愛して剡中に入る
江南地方を漫遊していた李白は、２８歳の時、孟浩然と知り合いました。孟浩然は、既に宰相の張九齢、王維などの知遇を受け、詩人としての名声は高く、その清廉潔白な人柄は人々の尊敬を集めていましたが、官職に恵まれず流浪の身でした。李白は、孟浩然を尊敬する「孟浩然に送る」という詩を孟浩然に送り、尊敬の念を表しています。二人は、共に長江を遡って、翌年、黄鶴楼に達し、李白は、そこで、歓楽街として栄えていた揚州に行く孟浩然と別れました。この時作られたのが有名な「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」です。孟浩然がこのとき揚州に向かったのも職探しのためであったと言われています。
孟浩然を乗せた船の姿が段々と小さくなり、ついに地平線の彼方に消えてしまうまで見送っている李白のなごりおしさを示し、寂しさを、唯残る長江の流れを示すことにより表した名作です。
故人西辭黄鶴樓 故人西の方 黄鶴楼を辞し
煙花三月下揚州 煙花三月 揚州に下る
孤帆遠影碧空盡 孤帆の遠影 碧空に尽き
惟見長江天際流 惟だ見る長江の天際に流るるを
この後、李白が孟浩然と会ったと言う記録はありませんが、盛唐の時代の詩人の多くは交流を結んでおり、詩の交換はあったと思われます。後年、李白は「孟浩然に贈る」と言う詩を作り、その清廉、風流で世俗を超えた生き方に敬意を表しております。
吾愛孟夫子 吾は愛す
孟夫子
風流天下聞 風流
天下に聞こゆ
紅顏棄軒冕 紅顏 軒冕を棄て
白首臥松雲 白首 松雲に臥す
醉月頻中聖 月に醉うて頻りに聖に中り
迷花不事君 花に迷いて君に事えず
高山安可仰 高山 安んぞ仰ぐ可けんや
徒此揖清芬 徒らに此に清芬に揖す
その後、李白は官職を求めて各地を訪れたり、隠者や道士と交流したりしました。この時作られたのが、「山中問答」「山中にて幽人と対酌す」です。
「山中問答」は、わざと絶句の法則を無視して古詩にみせかけ、隠者としての生活振りを強調したもので、絶句でなく古詩に分類する学者もいます。又、「笑って答えず」「桃花流水」などの語には、隠逸詩人として名高い陶潜の影響がみられます。
問余何意棲碧山 余に問う
何の意あって碧山に棲むと
笑而不答心自閑 笑うて答えず
心 自から閑なり
桃花流水杳然去 桃花流水 杳然として去る
別有天地非人閒 別に天地の人間に非ざる有り
「山中にて幽人と対酌す」も、「山中問答」と同じように、古詩に見せかけた詩であり、その転句は、宋書隠逸傅にみられる陶潜の言葉を引用しています。琴も陶潜が愛した楽器であり、これらにより、隠逸生活を巧みに表現しています。
兩人對酌山花開 両人対酌すれば山花開く
一杯一杯復一杯 一杯一杯また一杯
我醉欲眠卿且去 我酔うて眠らんと欲す
卿且く去れ
明朝有意抱琴來 明朝 意あらば琴を抱いて来たれ
漂泊の旅を続ける李白は、黄鶴楼のある武漢の近くで、有力者から招かれて船遊びをし、その時の様子と感慨を「江上吟」という詩に詠いました。この詩は，豪快な物であり、屈原の詩と，屈原の主であった楚王の楼閣を引き合いに出し，詩は永遠であるが、王朝の栄えなど一時的なものであると、自分が詩作に生きることを誇る物です。
木蘭之枻沙棠舟 木蘭の枻 沙棠の舟
玉簫金管坐兩頭 玉簫 金管 両頭に坐す
美酒樽中置千斛 美酒
樽中 千斛を 置き
載妓隨波任去留 妓を 載せ 波に隨いて 去留に任す
仙人有待乘黄鶴 仙人
待つ有りて 黄鶴に乗じ
海客無心隨白鴎 海客 心 無く 白鴎に隨う
屈平詞賦懸日月 屈平の詞賦は日月を 懸け
楚王臺樹空山丘 楚王の台樹は空しく山丘
興酣落筆搖五嶽 興 酣にして 筆を落とせば 五岳を搖かし
詩成笑傲凌滄洲 詩
成りて 笑傲すれば 滄洲を 凌ぐ
功名富貴若長在 功名
富貴 若し長えに在らば
漢水亦應西北流 漢水も亦た応に西北に流るべし
自由気ままに旅を続けたり隠者や道士と交流したりしていた李白ですが、故郷を離れてから５、６年が経つと、望郷の念を懐くこともあったようです。「静夜思」はこのころ作られました。ふとしたことがきっかけとなった作者の自然な動きにより、望郷の念が深いことを示した名作です。
牀前看月光 牀前 月光を看る
疑是地上霜 疑うらくは是れ地上の霜かと
擧頭望山月 頭を挙げて山月を望み
低頭思故郷 頭を低れて故郷を思う
「静夜思」の月光を月に例えることは、日本において和歌にも影響を与えております。これらのうち、藤原定家の「ひとりぬる」、松平定信の「あふぎみる」、坂上是則の「あさぼらけ」が代表的なものです。
ひとりぬる山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月かげ（藤原定家）
あふぎみる高嶺の月にふる郷の草葉の霜の色をしぞ思ふ（松平定信）
朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪（坂上是則）
蜀を離れてから約十年後、李白は、同じく望郷の念を詠った「太原の早秋」を作りました。辺境の地で秋が急激に深まるのを延べ、それにつれて深まる望郷の念が深まることを表しています。
歳落衆芳歇 歳落ちて衆芳歇み
時當大火流 時は大火の流るるに当たる
霜威出塞早 霜威 塞を出でて早く
雲色渡河秋 雲色河を渡って秋なり
夢繞邊城月 夢は繞る 辺城の月
心飛故國樓 心は飛ぶ故国の楼
思歸若汾水 帰らんと思えば汾水の若く
無日不悠悠 日として悠々たらざるは無し
放浪の旅を続けるとき、慰めてくれるのは、酒です。李白は大の酒好きで、杜甫の「飲中八仙歌」にも「李白一斗詩百編」と歌われております。旅の途中で酒屋に立ち寄り、その主人に受けたもてなしに感謝した詩が「客中行」です。
玉でできた杯に一杯に継がれた美酒を飲むうちに、自分が異郷にいることなど忘れてしまうことを詠っています。もちろん、酒代は、この詩一首で只になったでしょう。
蘭陵美酒鬱金香 蘭陵の美酒 鬱金香
玉碗盛來琥珀光 玉椀 盛り来たる 琥珀の光
但使主人能醉客 但
主人をして 能く客をして酔わしめば
不知何處是他鄕 知らず何れの処か是れ他郷
太原から洛陽に戻った李白は、ここでも、望郷の詩である「春夜洛城に笛を聞く」を作りました。春風に乗って城中に吹き渡る曲は、別れを示す「折楊柳」。これによって、人々は望郷の念を起こさざるを得ないのです。
誰家玉笛暗飛聲 誰が家の玉笛ぞ 暗に声を飛ばす
散入春風滿洛城 散じて春風に入りて 洛城に満つ
此夜曲中聞折柳 此の夜 曲中 折柳を聞く
何人不起故園情 何人か故園の情を起こさざらん
漂泊の旅を続けた李白は、４２歳の時、当時の宮廷詩人として有名だった賀知章を訪れてその詩才を認められ、地上に流罪となった仙人の意味を持つ「謫仙人」と呼ばれました。そして、賀知章等の推挙により、宮廷詩人として玄宗皇帝に仕えることになりました。このとき、妻との別れに際し、「内に別れ徴に赴く」という三首の詩を作りました。「其の一」では宮廷に入ることの喜びを示すと共に、「長安は遠くて見えないから、自分のことを思うなら、夫を思う妻が上ったら石になったという「望夫山」に上らなければならないね。」とからかっています。
王命三徵去未還 王命 三たび徴す 去らば未だ還らざらん
明朝離別出吳關 明朝 離別して呉関を出ず
白玉高樓看不見 白玉 高楼 看れども見えず
相思須上望夫山 相思
須らく上るべし望夫山
一方「其の二」では、李白は妻に対し、出世出来なくて返って来た蘇秦に対して妻が機織り機からおりなかった例を引きながら、自分は黄金の印を帯びるような高い身分になって帰ってくるから、そんな思いはしないで済むと、自信溢れる態度を示しています。
出門妻子強牽衣 門を出ずれば妻子強いて衣を牽き
問我西行幾日歸 我に問う西行 幾日にか帰ると
歸時儻佩黃金印 来たる時
儻し黃金の印を佩ぶれば
莫見蘇秦不下機 蘇秦 機より下らざるを見る莫らん
李白が作った詩の中に「子夜呉歌」という四首の詩があります。これらの詩がいつ作られたのかは明らかではありませんが、春、夏、秋、冬を表したもので、このうち、秋を表した其の三が最も有名で、「子夜呉歌」と言えばこれを指します。長安の天空にポツリと懸かる月、秋風、砧の音を組み合わせて寂しさを強め、戦場にいる夫の帰りを待つ心の深さを表しています。
長安一片月 長安
一片の月
萬戸擣衣聲 万戸衣を打つの声
秋風吹不盡 秋風 吹いて尽きず
總是玉關情 総て是れ 玉関の情
何日平胡虜 何れの日か
胡虜を平らげて
良人罷遠征 良人 遠征を罷めん
「子夜呉歌」は、日本の和歌にも影響を与えました。その代表的なものが、参議雅経が詠んだ「み吉野の」です。この歌は百人一首にも採られています。
み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり
宮廷詩人として、李白はいろいろな詩を作りましたが、その一方で、夫と別れて暮らす妻や，皇帝からがお召しのない後宮の女の悲しみを詠った「閨怨詩」を作っております。これらを三首紹介いたします。
最初に「春怨」を紹介します。立派な身なりをして出征した夫を思って眠れないでいると、月や花びらまでがその悲しみを笑っているように見えると詠っています。
白馬金羈潦海東 白馬金羈 潦海の東
羅帳繡被臥春風 羅幃 繡被 春風に臥す
落月低軒窺燭盡 落月 軒に低れて 燭の尽くるを窺い
飛花入戸笑床空 飛花 戸に入って 床空を笑う
続きまして「烏夜啼」を紹介いたします。離れた場所に流罪となった夫のために、「回文詩」を織り込んだ錦を作り夫への思いを表したという秦川の女、蘇蕙の故事を引きながら、烏の声の中で機を織りながら、夫と別れて暮らす妻の悲しみを巧みに詠っています。
黄雲城邊烏欲棲 黄雲 城辺 烏 棲まんと欲し
歸飛唖唖枝上啼 帰り飛び唖々として枝上に啼く
機中織錦秦川女 機中 錦を織る秦川の女
碧紗如煙隔窗語 碧紗 煙の如く 窓を隔てて語る
停梭悵然憶遠人 梭を停め 悵然として遠人を憶う
獨宿孤房涙如雨 独り孤房に宿して 涙雨の涙し
次に、「怨情」を紹介致します。皇帝の寵愛を失い、一人寂しく夜を過ごす後宮の心を表した詩です。今、皇帝の寵愛を受けている宮女への嫉妬が表されています。
美人巻珠簾 美人
珠簾を巻き
深坐嚬蛾眉 深く坐して
蛾眉を嚬む
但見涙痕濕 但だ見る涙痕の濕えるを
不知心恨誰 知らず心に誰をか恨む
この頃のことであろうと思われますが、李白は、悲劇の美女「王昭君」を題材にした詩を作っております。王昭君は漢の後宮にあった絶世の美女でしたが、時の皇帝は高級の女達の絵を描かせ、それを見てお召しになる者を決めていました。そのため、後宮の女は絵師に賄賂を送って自分の姿を美しく書かせましたが、王昭君は賄賂を送らなかったので、絵師はその姿を醜く書きました。当時は友好国であった匈奴の王である単于が漢を訪れ、後宮の女の一人を自分の妻として迎えたいと申し出ました。
時の皇帝は、醜い女を与えようとして王昭君を指名しました。単于に引き合わせるときに、皇帝は王昭君が絶世の美女であることに気付きましたが、既に遅く、王昭君は単于の妻として匈奴の地に送られそこで生涯を終えました。
この話は広く伝えられ、白居易を始め多くの詩人が、王昭君を詠った詩を作っております。李白は、漢の都から辺境の地である匈奴の地に行かなければならない王昭君の哀れさを「頬」に詠いました。
昭君拂玉鞍 昭君 玉鞍を払い
上馬啼紅頰 馬に上って紅頬に泣く
今日漢宮人 今日 漢宮の人
明朝胡地妾 明朝
胡地の妾
宮廷詩人として仕える李白に、思いがけない幸運がやってきました。当時、牡丹が珍重されるようになり、玄宗皇帝が沈香という香木で造った沈香亭の庭に四色の牡丹を植え､当時、大真と呼ばれていた楊貴妃を側に置いて宴会を開きました。そこで、玄宗は「このような楽しい宴において、どうして古い曲を演奏することができるか。新しい曲を聞いて楽しもう。」と言いだし、直ぐに李白が詩を作るために呼び出されました。そのとき李白は泥酔状態で靴も脱げないような状態でしたが、水をかけて目を覚まさせ、筆を握らせると、忽ちのうちに、楊貴妃の美しさを牡丹に例えた「清平調詞三首」を作りました。
玄宗は直ちに楽士に曲をつけさせ、名歌手李亀年に歌わせ、自らも笛で伴奏ました。楊貴妃は、瑠璃七宝の杯で西域産の葡萄酒を飲みながら、歌の意味を悟って微笑んだと言われています。
李白にとって、一番華やかしい時でした。「清平調詞」のうち、一番有名な其の一を紹介いたします。この詩は、楊貴妃の美貌を牡丹の花にたとえると共に、これほどの美人に匹敵する者は，仙人の住む群玉山か、殷の紂王の作った美女の住まう台である瑤台で月明かりの下でしか見ることが出来ないであろうと、その美貌ぶりを詠っています。
雲想衣裳花想容 雲には衣装を想い
花には容を想う
春風拂檻露華濃 春風 檻を払って 露華濃やかなり
若非羣玉山頭見 若し群玉山頭に見るに非んば
會向瑤臺月下逢 会ず 瑶台月下に向かって逢わん
続きまして、「清平調詞其の二」を紹介致します。この詩は、楚の襄王は巫山の神女と夢に契った情交がむなしくなって悲嘆したと言う故事を引き、もし、楊貴妃を漢の美女に比べるとすれば、有名な張飛燕くらいしかいないだろうと詠っています。
一枝紅艶露凝香 一枝の濃艶 露香を凝らす
雲雨巫山枉斷腸 雲雨 巫山 枉げて断腸
借問漢宮誰得似 借問す 漢宮 誰か似るを得ん
可憐飛燕倚新粧 可憐の飛燕 新粧に倚る
続きまして、「清平調詞其の三」を紹介いたします。この詩は、咲き誇る牡丹と楊貴妃の美しさが世の春を寿ほぎ、玄宗がそれを微笑みながら見つめている情景を詠っています。
名花経國兩相歡 名花 傾国 両つながら相歡ぶ
長得君王帯笑看 常に君王の笑いを帯びて看るを得たり
解釋春風無限恨 解釈す春風無限の恨み
沈香亭北倚闌干 沈香亭北 欄干に倚る
牡丹は、則天武后の時代から尊重され始めましたが、それを愛する習慣が現在まで続き、中国の国歌になっているのも、清平調詞の影響としている説もあります。其の一は特に有名です。
ところが、李白にとって思いがけないことが起こりました。このとき、玄宗の命により李白の靴を脱がさせられたのが、玄宗第一のお気に入りの宦官高力士でした。宦官と言っても、右監門衛将軍の肩書きを持ち、宮廷詩人として翰林供奉という役職を与えられているものの実質的に位を持たない李白とは比べものになりません。高力士は、このことを屈辱とし、「清平調詞其の二」において、下層階級の出身であった漢の美女、趙飛燕を楊貴妃に例えたことを問題にし、楊貴妃を下層階級の出身者に例えたと、玄宗に讒言しました。又、杜甫の「飲中八仙歌」にあるように、酒に酔って玄宗の呼び出しに応じないように勤務態度が悪かったことも問題とされ、宮廷から追放されてしまうことになりました。
このとき、李白は、その失意を「初めて金門を出でて王侍御を尋ねて遇わず、壁上の鸚鵡を詠ず」という詩に表し、故郷の隴山に隠棲しようという意思を示しました。この詩を紹介したします
落羽辭金殿 羽を落として金殿を辞し
孤鳴託繡衣 孤鳴して繍衣に託す
能言終見棄 能く言うも終に棄てられ
還向隴山飛 還って隴山に向かって飛ぶ
宮廷を追放された李白は洛陽に向かいましたが、ここで奇跡が起こりました。杜甫と遭遇したのです。後代の人はこの出会いを「太陽と月が出会ったようなものだ。」と呼んでいます。また、辺塞詩人として名高い高適とも出会い、三人は約半年、李白と杜甫は１年半に亘って旅をしました。李白と杜甫は、石門というところで別れましたが、別れに際し、李白は「魯郡の東 石門にて杜二甫を送る」という詩を杜甫に送りました。石門での別れの後、「重ねて金樽の開く」ことはなく、二人は二度と会うことはありませんでした。杜甫は李白を尊敬すること篤く、１４首の詩を寄せておりますが、李白は、杜甫に対して４首の詩しか寄せておりません。二人の詩には、お互いの影響は殆ど見られません。お互いに認め合いながら、詩風には相容れないものがあったのでしょう。
「魯の東 石門にて杜二甫を送る」を紹介致します。
醉別復幾日 酔別 復た幾日ぞ
登臨復池臺 登臨 池台に偏し
何言石門路 何ぞ言わん石門の路
重有金樽開 重ねて金樽の開く有らんと
秋波落泗水 秋波 泗水に落ち
海色明徂徠 海色 徂徠に明らかなり
飛蓬各自遠 飛蓬 各自遠し
且盡手中杯 且く手中の盃を尽くさん
杜甫と別れた後、李白は江東の地を漫遊しました。この頃の詩名は高く、もはや、実家からの仕送りがなくても、旅費に事欠くことはなかったと思われます。李白は、宮廷詩人の頃、阿倍仲麻呂と親好があったと思われ、この頃、阿倍仲麻呂が帰国の途中で船が難破して死んだという報に接し、「晁卿衡を哭す」という詩を作っております。この詩は、西安の興慶宮公園にある阿倍仲麻呂記念碑に刻まれております。「晁卿衡を哭す」を紹介致します。
日本晁卿辞帝都 日本の晁 帝都を辞し
征帆一片繞蓬壷 征帆 一片 蓬壷を繞る
明月不帰沈碧海 明月
帰らず 碧海に沈み
白雲愁色満蒼梧 白雲 愁色 蒼梧に満つ
このころ、李白は，辺塞詩人として有名な王昌齢が蜀の夜郎の近くに流罪となったことを聞きました。李白と王昌齢との関係は良く分かっておりませんが、孟浩然は病気療養中に王昌齢が尋ねてきたので無理をして歓待し，それが元でなくなったと言われており、｢旅亭画壁｣の故事にみられるように、王昌齢、王之渙、高適は飲み友達でした。このような盛唐の大詩人達の交友関係を見ると、王昌齢とも長安滞在中に交際があったと考えられます。この詩「王昌齡が龍標に左遷せらるるを聞き遙かに此の寄有り」を紹介いたします。
楊花落盡子規啼 楊花 落ち尽くして 子規啼く
聞道龍標過五溪 聞道く 龍標 五溪を過ぐと
我寄愁心與明月 我 愁心を寄せて 明月に與う
隨風直到夜郎西 風に隨いて
直ちに到れ 夜郎の西
李白は、当時、金陵と呼ばれていた南京を訪れ、そこで、鳳凰台に登り、「金陵の鳳凰台に登る」という詩を作りました。この詩は、催顥の「黄鶴楼」を意識した詩です。『苕溪漁隱叢話』には、李白が黄鶴楼に上って黄鶴楼の詩を作ろうとしたところ、催顥の詩が壁面に書かれており、「これ以上の詩は作れない。」と言って詩を作るのを諦めたということが記されております。
この詩は、「黄鶴楼」と構成がほぼ同一であり、韻目が同一、頸聯、尾聯は韻字まで同一であるなど、似たところがあります。李白が黄鶴楼で受けた「会稽の恥」をこの詩で濯ごうとしていたことがわかります。この詩において「長安」は、玄宗皇帝、「浮雲」は、讒言をして玄宗皇帝から遠ざけた高力士を意味していると考えられます。「金陵の鳳凰台に登る」を紹介いたします。
鳳凰臺上鳳凰遊 鳳凰台上 鳳凰 遊び 鳳去り
鳳去臺空江自流 台空しくして 江 自ら流る
呉宮花草埋幽徑 呉宮の花草は 幽径に埋もれ
晉代衣冠成古丘 晋代の衣冠は古丘と成る
三山半落靑天外 三山 半ば落つ 青天の外
二水中分白鷺洲 一水 中分す 白鷺洲
總爲浮雲能蔽日 総て浮雲の能く日を蔽うが為に
長安不見使人愁 長安見えず 人をして愁え使む
李白は、呉と越の地を訪れ、曾ての呉王の夫差と越王の勾践の戦いを懐古しながら、双方の栄華を誇った宮殿が跡形も無くなっていることを「蘇台覧古」「越中懐古」の詩に表しました。諸行無常、盛者必衰を示す詩です。「蘇台覧古」と」「越中懐古」を紹介いたします。
始めに「蘇台覧古」を紹介いたします。かつて、夫差が、勾践が送った絶世・頃國の美女である西施と享楽したとされる姑蘇台の宮殿は野原となり、宮殿において西施を照らしていた月だけは、変わりなく、この地を照らしていると詠うことにより、呉の繁栄が無常のものであったことを表しています。「呉王宮裏の人」とは西施をさしています。
舊苑荒臺楊柳新 旧苑
荒台 楊柳新たなり
菱歌淸唱不勝春 菱歌
清唱 春に勝えず
只今惟有西江月 只今 惟だ 西江の月のみありて
曾照呉王宮裏人 曾て照らす 呉王宮裏の人
続きまして、「越中懐古」を紹介いたします。呉を破って返って来た越は繁栄を誇ったが、今では、その宮殿も跡形もなくなり、ただ、鷓鴣の飛ぶのが見えるだけだと詠うにより、同じく、越の繁栄も無常のものであったことを表しています。
越王勾踐破呉歸 越王勾踐 呉を破って帰る
義士還家盡錦衣 義士
郷に還って 尽く錦衣す
宮女如花滿春殿 宮女
花の如く 春殿に満つ
只今惟有鷓鴣飛 只今 惟だ鷓鴣の飛ぶ有るのみ
その後、５０歳を超えた李白は、南京の南になる風光明媚な地である秋浦を訪れました。ここで、李白は十七首の連作である「秋浦の歌」を作りました。もはや老境に差し掛かったせいか、いずれも望郷の念や淋しさを感じさせるものであり、楽天家の李白にしては独特なものです。このうち、「白髪三千丈」で始まる其の十五は特に有名で、単に「秋浦の歌」と言えば、これを指します。「秋浦の歌」を紹介いたします。
白髮三千丈 白髪三千丈
縁愁似箇長 愁いに縁って箇くの如く長し
不知明鏡裏 知らず明鏡の裏
何處得秋霜 何れの処にか秋霜を得たる
｢秋浦の歌｣は、藤井莫雲によって二首の短歌に訳されております。これらを紹介いたします。
我が愁い白髪三千丈なるほどにこれほど伸びてなおも尽きざる
この髪を鏡に映しみるときはうつろい早き寂しさぞ知る
このころ、李白は、南京を中心とした地方を漫遊しましたが、旅の途中で、王倫という人の家に滞在し、もてなしを受けました。別れに際し、船に乗ると、岸から王倫一族が足を踏みならして歌う歌が聞こえてきました。李白は、早速「王倫に贈る」という詩を作り、王倫に渡しました。王倫は李白直筆のこの詩を、家宝としたと言われています。この詩を紹介いたします。
李白乘舟將欲行 李白舟に乗りて将に行かんと欲す
忽聞岸上踏歌聲 忽ち聞く岸上 踏歌の声
桃花潭水深千尺 桃花潭水 深さ千尺
不及汪倫送我情 及ばす
汪倫が我を送るの情に
李白は、風光明媚な地である宣城を訪れ、船の中から天門山を眺めた「天門山を望む」という詩を作りました。雄大な景色を詠ったスケールの大きな詩です。この詩を紹介致します。
天門中斷楚江開 天門 中断して 楚江開き
碧水東流至北廻 碧水 東に流れて 北に至って廻る
兩岸靑山相對出 両岸の青山 相対して出で
孤帆一片日邊來 孤帆 一片 日より来る
同じ頃、李白は宣城の北にある敬亭山を訪れ、「独り敬亭山に座す」という詩を作りました。山に向かって楽しみ、自然と一体になった気分を表す詩であり、後世「胸中事無く、眼中人無し」と評されました。この詩を紹介致します。
衆鳥高飛盡 衆鳥 高く飛びて尽き
孤雲獨去閑 孤雲 独り去りて閑なり
相看兩不厭 相看て 両つながら厭わざるは
只有敬亭山 只だ敬亭山あるのみ
このころ、李白は「宣州の謝朓楼にて校書叔雲を餞別す」という詩を作りました。この世はとにかくままならない。世を捨てて隠棲生活を送りたいという願いが込められた、味わい深い詩です。この詩を紹介いたします。
棄我去者 我を棄て去る者は
昨日之日不可留 昨日の日にして 留む可からず，
亂我心者 我が心を乱す者は
今日之日多煩憂 今日の日にして 煩憂多し
長風萬里送秋雁 長風 万里 秋雁を送る
對此可以酣高樓 此れに対し 以て 高楼に酣す可し
蓬莱文章建安骨 蓬莱の文章 建安の骨
中間小謝又清發 中間の小謝 又た清発
倶懷逸興壯思飛 倶に 逸興を 懷きて 壯思 飛び
欲上青天覽明月 青天に上りて 明月を覽んと欲す
抽刀斷水水更流 刀を抽きて水を断てば 水 更に流れ
舉杯銷愁愁更愁 杯を挙げて愁いを 銷せば 愁い 更に愁う
人生在世不稱意 人生
世に在りて 意に称わざれば
明朝散髮弄扁舟 明朝
髮を散じて 扁舟を弄せん
李白は、安史の乱で乱れた地域を避ける意味もあって、さらに長江を遡り、九江市の南の廬山の麓の地に隠棲しました。ここは、かつて陶潜が隠逸生活を送った地に近い土地です。このとき作られたのが｢廬山の瀑布を望む｣です。廬山のひとつの峯が清少納言の故事で名高い香炉峰です。香炉峰を「香炉」と表現することにより、｢紫煙｣が香炉から立ち上る煙と、滝に依って生じる紫色の水煙を示すことになり、かつ、転句、結句によって、滝のスケールの大きさを表した見事な詩です。この詩を紹介いたします。
日照香爐生紫煙 日は香炉を照らして 紫煙を生ず
遙看瀑布挂前川 遥かに看る瀑布の長川を挂くるを
飛流直下三千尺 飛流直下 三千尺 疑うらくは是れ
疑是銀河落九天 銀河の九天より落つるかと
廬山に隠棲していた李白に、玄宗の子である永王李璘から、幕僚になるように要請があり、魔が刺したのか、李白はこれに応じました。永王は玄宗皇帝から河南地方を治めるように命令を受け、これに成功しました。このとき、李白は「永王東巡歌」という十一首の詩を作り、永王を讃えました。これらのうち｢其の一｣を紹介いたします。
永王正月東出師 永王 正月 東に師を出だす
天子遙分龍虎旗 天子
遥かに分かつ龍虎の旗
樓船一舉風波靜 楼船 一挙すれば 風波静かに
江漢翻爲燕鶩池 江漢は翻って雁鶩の池と為る
また、李白は、上皇となった玄宗皇帝が長安に戻ったのを祝い「上皇西巡南京歌」という十首の詩を作りました。いずれも玄宗を讃えたもので、玄宗が粛宗の手により軟禁されていることを知りませんでした。このうち其の四を紹介いたします。
誰道君王行路難 誰か道う 君王 行路難しと
六龍西幸万人歓 六龍西に幸して 万人歓ぶ
地転錦江成渭水 地は錦江を転じて 渭水と成し
天廻玉塁作長安 天は玉塁をらして 長安と作